PUBLICATION
出版物・企画
2025年度 版画進級制作展「グラフィックデザインにおける『版』を考える」プロジェクト
2025.11.17
デザインプロジェクト
2025年度版画進級制作展
「グラフィックデザインにおける『版』を考える」授業プロジェクト
ゲスト講師・デザイナー:西村祐一/Rimishuna
今日の版画はアートとデザインを横断しながら様々な展開をもって広がる表現として多様化しています。このプロジェクトでは、先鋭的なグラフィックデザイナーをゲスト講師として招いて、11月に開催される本学3年生と大学院生による進級制作展のDMデザインを依頼し、そのデザインワークを実例として授業活用しながら、グラフィックデザインにおける版、印刷の可能性について考える授業です。具体的には、クライアントの要望からコンセプトを構築しデザインワークへ展開するデザインの現場をしるとともに、版画、印刷メディアをアートからだけなく、デザインの視点でどのような可能性があるのかを考えていきます。
ゲスト講師・デザイナーは京都で活動されている西村祐一さん/Rimishunaにご担当いただきました。
〈デザインコンセプト|Printed by Translation〉
こんにち、人類が日々膨大なロットで刷っては撒き散らし、コンマ数秒目に触れる(ものによっては誰の目にも留まらずただ生産されて廃棄される)だけの「印刷物」というメディアに、記載内容以外にいかなる価値があり、またどのように存在しているのかを検討してみた。
ヴァルター・ベンヤミンが1936年に著した評論『複製技術の時代における芸術作品』によると、機械的複製は人間による複製(模造)と違い、「オリジナルを繰り返し再現する」技術であり、「同一の作品を大量に出現させ」「受け手の方に近づける」と述べた。それにより、唯一性、儀礼性、そして場所性が失われたとされる。手作業による複製はつねに個体差を生み、そこに価値を見出すが、機械的複製ではその差異の排除を目的とする。その結果、社会には「複製物は同一であるべき」という技術的・文化的要請が生まれた。機械的複製はどの複製も等しい「同一性」を達成し、わたしたちの常識を形成している。
しかし、朝から晩までディスプレイに目を奪われ、高度にディスプレイ化された現代のわたしたちの身体は、「同一性」への解像度を高めている。わたしたちは機械的複製が達成したはずの「同一」のうちに、ディスプレイによるものより大きな差異を見出してしまう。差異のない物質など存在するだろうか?と、いずれかの次元で必ず差異があるということが、物質の逃れられない性質だということに、わたしたちはすでに気付いている。
では、機械的複製における差異はどこで生まれるのか。それは、異なる領域をまたぐところに起きる。これは翻訳(translate)の概念に似ている。translateは、beyondやacrossを意味する接頭語trans-と、carriedを意味するラテン語の語根latūsが合わされた単語である。翻訳(translate)はある領域から別の領域へと“運び越える(carryacross)”運動にほかならない。ジョン・サリスは「翻訳は同一性を生み出すことを目指しながら、同一性を破綻させることしかなし得ない」という。わたしたちは日常的に翻訳の連鎖のうちに生きている。風の音そのものを聴くことはできない。地球の自転と気圧の差が大気の動きに、大気の動きが木の葉の揺れに、木の葉どうしが擦れ、その運動エネルギーは音に、風として翻訳されている。思考や感情もまた、言葉や表情、といった形を通してしか伝えられず、受け取ることもできない。そこには必ずノイズや揺らぎ、脱落、誤解が生じる。翻訳は、オリジナルデータをそのまま誤差ゼロで送受信することではなく、ためらいながらも部分的になんとか伝わった気がするといった、穴だらけの不完全のものだ。
実際に印刷においても同様に、人間、ディスプレイ、ソフトウェア、プリンター、紙といった異なる領域間を横断するたび、ズレが生まれる。今回のDMでは、ソフトウェア上で描画されるレジストレーション(断裁位置や版の見当を確認するための、使用する版全色が重なる極細の線)のパターンの出力をレーザープリンターによって行う。プリンターに送られるデータは1種類であるにもかかわらず、そのデータとディスプレイとプリンターと紙の間にギャップがあるために、個体ごとに印刷結果が異なる。入稿データは複数の領域や機械言語を運び越えるうちに、人間も機械もコントロールできない微細な差異を、その都度まとわりつかせながら吐き出される。個々の印刷物は入稿データという俯瞰されたはずの全体からはみ出して存在している。
かつて江戸時代の「版」は、内容が公になる前に、「本屋仲間(株仲間)」の厳格なピアレビューを経て、社会的に取り締まられ、確定された情報を刻むものであった。そこに刻まれたものは不動であり、ゆるぎない「正」の表象だった。しかし、現代の私たちにとってはもはや異なる意味を帯びてくる。plate(版)は、place(場所)と同じくギリシャ語のplatūs(flat, broad)を語源に持つが、今や「版(plate)」とはむしろ、揺れや差異を動的に生成する場としての「翻訳の場(place)」なのだ。差異や揺らぎが生まれてしまうことは、「物質」という側面を持つ機械や人間などの存在における性質であり、聴し、歓待すべき価値なのだろう。
グラフィックデザイナー 西村祐一/Rimishuna
HP>https://www.rimishuna.com/
インスタ>https://www.instagram.com/rimishuna/